令和4年2月 | 取締役会長 妙中 清剛 代表取締役社長 妙中 正司 就任 |
平成20年 | 液流染色機導入 |
平成20年 | 大型液晶パネル用ラビングクロスの生産開始、販売拡大へ |
平成18年 | 2000mm巾コットンラビングクロスIPSαに納入開始 |
大型液晶パネル用ラビングクロスの生産方法を確立 | |
平成17年 | 大型液晶パネル用ラビングクロスの開発開始 |
平成16年 | 液晶パネルの大型化に伴い2000mm巾の液晶パネル用ラビング |
クロスの生産開始 | |
平成15年 | 染色工場にワッシャー4台導入 毛焼機導入 |
平成14年 | 液晶パネル用ラビングクロスの生産量増加 |
シャープ三重工場にてラビングクロステストOK採用 | |
平成13年 | エビロ社(ベルギー)製全自動小割ワインダー48錘 |
エリテックス社(チェコ)製全自動エアスプライザー付ワインダー20錘 | |
バンデビ-レ社製電子ジャガード付織機1台導入 | |
平成13年 | 日立新工場にてコットンラビングクロス採用量産開始 |
AU、LG、イノラックスにてラビングクロス採用生産開始 | |
平成12年 | 試作用自動整経機スズキワーパー導入 |
平成11年 | 液晶パネル用ラビングクロスの生産開始 |
平成10年 | 電子材料用クロスの開発開始 |
平成8年 | 代表取締役会長 妙中正次 就任 |
代表取締役社長 妙中清剛 就任 | |
平成7年 | 株式会社川島織物フィリピン進出に資本参加 |
平成2年 | モルタメ倉庫建設 |
平山第2製品倉庫建設 | |
平成元年 | ジャガードにもレピア織機導入 |
大同新工場増設 | |
高速ジャガード設置 | |
昭和58年 | 本年~平成9年超高速織機バンデビ-レ社製25台設置 |
昭和57年 | 株式会社川島織物グループとして車両・JR・バス等の各種モケットの生産開始 |
第2チーズ染色工場建設 | |
平山製品倉庫建設 | |
昭和55年 | 特殊加工工場(モルタメ)建設 |
昭和53年 | 代表取締役会長 妙中正一 就任 |
代表取締役社長 妙中正次 就任自動車用シート生地分野に進出 | |
昭和51年 | 25周年祝賀会開催 |
小田に整経工場建設 | |
昭和50年 | 平山原糸倉庫増設 |
昭和48年 | コーンチーズワインダー2台設置 |
昭和47年 | 平山原糸倉庫建設 |
コーンチーズワインダー1台設置、超高速ワインダー108錘1台設置 | |
コーンチーズワインダー120錘1台設置 | |
昭和46年 | 鉄筋2階建事務所建設、レピア工場建設、グスケン社製レピア |
織機46年~52年にかけて64台設置 | |
昭和45年 | G-6Wベルベット織機12台大同工場に設置 |
昭和44年 | 椅子張り生地をアメリカへ輸出開始 高速ワインダー100錘、田中式70吋シャトル織機3台設置 |
昭和43年 | レーヨンシールイミテーションファーを開発し衣料分野で安定した市場を確保 |
昭和40年 | 対米向け綿ベルベットの件で社長初渡米 |
昭和39年 | 資本金を1000万円に増資 各種加工工場、染色・捺染工場新設 及び増設により糸染めからの一貫生産体制を完備 |
昭和35年 | ビーバーパイルの商標でミンク風合いの商品で和装・洋装のコート分野に進出し大ヒットする |
昭和33年 | 紀州輸出パイル織物調整組合に参加 |
昭和31年 | ジャガード織機設置 |
社名を妙中パイル織物株式会社に変更 | |
昭和29年 | 本社工場を現在地に移転 |
昭和28年 | 八興染工株式会社設立 |
昭和25年 | 株式会社アトラス妙中パイル織物工場設立 |
代表取締役社長 妙中 正一 資本金70万円 | |
昭和24年 | 西脇市よりモケットダブル織機4台購入、設置 |
昭和22年 | ミシン縫製業(メリヤス下着)開始 従業員36名 |